近年、多様性を認める動きと共にLGBTQなどの理解も広がってきているように思う。
ここから先は私の偏見であるため特に根拠があるわけでもないし、全くもって的外れなことかもしれない。
今現在悩んでいる人を傷つけてしまう可能性もある。
それを踏まえた上で進んでいただきたい。
「その日の気分によって名乗る性別を変える」
あるニュースで取り上げられていた方の発言の一部である。
特に自分の出生の性別と自認の性別に疑問を持ったことない自分からすると、そのニュースだけでは理解できなかった。
記事も少し読んでみた。
理解しきれた気はしない。
世の中で自分の性別への違和感を主張する人が増えたような気がする。
本当にそういう人もたくさんいて、声を上げられず悩んできた人もまだ打ち明けられない人もきっとたくさんいるはずで。
その一方で、
「自分は女らしいことがしたくないから男」
「メイクやファッションが好きだから自認は女」
といった「その性別"らしさ"が受け入れられないから」という理由の人が、自分の違和感をトランスジェンダーに当てはめただけの人もいるのではないかと考えている。
本来、社会を維持するために生物学的な性別を分類として利用していたはずだ。
トイレや公共浴場、スポーツなどがその例である。
そこに社会的な性別の入り込む余地があること自体が疑念なのである。
そのような場で「自認は女性なので男して扱われるのは苦痛」という声を受け自認の性別で行動することを認めようと努力する社会がある。
その努力は、本当に必要だろうか。
「貴方の体に最適な社会システムを提供しているんです。そこで男らしさ女らしさ貴方らしさを求めていないんです。」
もし私がお役人だったら上記のような理由で断ってしまうと思う。
今本当に必要なことは、
生物学的な性別によって作られたシステムを社会的な性別に置換すること
ではなく
生物学的な性別と社会的な性別を切り離すこと
ではないだろうか。
すなわち、社会的な性別の中身を生物学的な性別で埋めないこと、またその理解を広げることで変わっていくのではないだろうか。
なりたい自分は「自分の生物学的な性別と反している」と考える人は、「社会的な性別は生物学的性別に依存しない」と考えられるようになるだけで気が楽にならないだろうか。
違うのかなぁ。
最近考えたことをまとめてみたんですが、時間が経ったら考えみようと思います。
本日はここら辺で。